2016年2月24日水曜日

回答書への質問

回答書への質問

我々の有志の代表として、小島を農協中央会へ相談に向かわせました。それに対して、小島の報告は「協力してくれる。」と言いながら、「3日もしないで、バカにしてきた。」と聞いております。
それなのに彼らは、JA愛川に弁護士を送り込むとはどういうことか、説明せよ。
(農協中央会は、小島に弁護士を付けて、不正をただすのが筋道だと思うがね。 
中央会とは一般組合員には力を貸してくれない部署なのですね。
がっかりしました。中津:高橋他6名)

2016年2月23日火曜日

郵便物紛失の件

郵政監察官殿

郵便物紛失の件

私の郵便物の捜査を開始しました。 枚数は数十通です。
前回出した宛先に、往復はがきで確認しております。
届きましたら、ご協力お願いいたします。
 もし、このようなことが行われたとしたら、国家犯罪となります。
コメント
再度のアドバイスありがとうございます。

2016年2月17日水曜日

郵政監察官殿

郵政監察官殿

 私の郵便物がなぜ届かなかったのか、よく調べてください。
明確な回答が来ないと告訴しますよ。
コメント
アドバイスありがとうございます。
またお願いします。

真相究明委員会:調査役代表 小島 佐則
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2016年2月16日火曜日

監察官室の回答

監察官室の回答
本日の午前中に、告訴センターの監察官室のコイデ様より、連絡があり、お断りの連絡があった。
 実は、「監察官室とは、ある一定レバルの高官が在位しており、難しい問題に対して立ち向かうところで、政治には中立を保ち、警察中の警察と言われるところである。」と書かれていたためである。  期待していたのだが、残念である。
やはり、ここにも川路利良(かわじ としよし)はいなかった。

郵政大臣に質問


郵政大臣に質問

郵政局長殿
 本年1月半ばから末にかけて、三十数通の書類を、三か所の郵便局に分けて送付しました。
しかし、その反応が見られないので、四、五か所を調査したところ、
「着いていません。」との回答でした。
仲間に相談してみましたが、「そんなことはありえない。」といっていましたが、どうやら現実のようです。
こんなことでは、事によっては、局長を告発したいと思っています。皆さん知恵を貸してください。

文芸春秋さんに1月半ばに郵便物を送りました。
2月8日(月)、14時に確認しましたが、「届いておりません。」という回答を得ています。
私のブログを見た人は郵便局長にお伝えください。
私は怒っています。


真相究明委員会:調査役代表 小島 佐則
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以上

2016年2月15日月曜日

質問回答

本日(平成28年2月15日)、朝方、まだ寝ていたら、農協さんから電話がありました。
連絡内容は、過去真相究明委員会として、申し入れ書、質問事項を提出しております。
 「その質問に対してお答えします。」ということです。
私としては、何で今頃という気はしますが、皆さんの代表として
メンバーを集めて農協にお邪魔しようかと仲間に連絡したところ、
皆さんなかなか忙しく。集まりません。
そこで、農協さんに「書類で貰えませんか。」という質問に
快く承知してくれましたので、2月19日(金)の午後に貰いに行くことにしました。

その結果は、また、皆さんに報告します。

2016年2月12日金曜日

横浜地検


  横浜地検
今回、横浜地方検察庁に、前載(平成28年1月28日付け)の告発状を持って行ってきました。
その理由は、下記告発状の経緯の通りです。
 
その質問・回答を掲載します。
Q1新聞記事の4億円の記事について告訴する。
A1これについては、背任罪が適用されますが、その時効は5年ですので時効なりま
  す。告訴できません。
Q2時効の起算は何処になりますか。
A2それは、事件が発生した日からです。
Q3この起算は、公共性の高い農協事件なのですが、
A3時効起算は種類を問いません。公務員もすべて同じです。
Q4悪いことをしても、罪状による期限が過ぎれば、時効で、罪を免れる
  事ができるのですか。それでは長期政権や法的機関が悪さをして、時
  効になる確率が高いですね。秘密結社には注意が必要ですね。
A4笑っていました。 
Q5厚木警察署が動いているようには見えないのですが。
A5このような事件は、膨大な資料があり、事情徴収や証拠確認で時間が掛かります。
  1年くらい掛かるかもしれません。
Q6この事件が平成24年6月なので、時効は来年の今頃となりますが、もうすでに
  時効成立という事ですか。
A6それはわかりません。起訴するか否かは、警察が調べたものを検察が判定します
  ので、その結果となります。
  警察はもう、すでに捜査は始めていると思われますよ。
  警察官によっては、態度が悪かったり、嘘をつくことがあるかもしれませんが、
  それは捜査上の守秘義務ではないかと思われます。
  繰り返しますが、これは、刑事事件ですので、警察官が勝手なことをする事はで
  きません。この決定権は検察官にあります。
Q7真相委員会の告発の権利は、どうなるのですか。
A7検察が判定した結果を、受ける権利です。
  必ず結果についての報告があります。
Q8過去の4億円事件は調べることはできないのですか。
A8そんなことはありません。
  前回の4千万円の事件が拡大した時、可能性はあります。 

上記の説明で、私は法律家ではありません、相手の言われるがまま聞いて、帰って
くるだけでした。
どこからどこまでが事件であり、どこからどこまでが時効なのか区別が判りません。
厚木警察署から、返却理由も書かれていない書類が、そのまま返されてきました。
現在、途方に暮れています。「ト、ホホホ・・・」
皆さん、私に力が無くてごめんなさい。
 しかし、時効まで、後1年あります。
日本全国の知恵のある方、このような事件の告発方法及び、司法を動かす方法の教えをたまわりたい。
手紙でもメールでも結構です。皆さん宜しくお願いします。
これからもブログは続けて行きますので皆さんの情報のご協力をお願いします。
敬具

 真相究明委員会:調査役代表 小島 佐則(すけのり)
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2016年2月6日土曜日

川路 利良

川路 利良     (Wikipediaより)

川路 利良(かわじ としよし、天保5年5月11日(1834年6月17日) - 明治12年(1879年)10月13日)は、日本の幕末から明治初期の薩摩藩士、警察官僚、陸軍軍人。階級は大警視、陸軍少将。位階は正五位。勲等は勲二等。
初代大警視(警視総監)を務め、欧米の近代警察制度を日本で初めて構築した「日本警察の父」。西南戦争では陸軍少将を兼任し、警視隊で組織された別働第三旅団を指揮した。
名は当初「としなが」と名乗っていたが、後に「としよし」と改名したようである。通称は正之進。号は竜泉。家紋は六つ丁子車。遠祖は藤原氏といわれる。
目次
 1生涯
o 1.1生い立ち
o 1.2幕末期の戦功
o 1.3警察制度の確立
o 1.4西南戦争
o 1.5死去
2評価
3年譜
4栄典
5エピソード
6親族
7川路利良が登場する作品
8伝記
生い立ち
薩摩藩与力(準士分)・川路利愛の長男として薩摩国鹿児島郡鹿児島近在比志島村(現在の鹿児島県鹿児島市皆与志町比志島地区)に生まれる。薩摩藩の家臣は上士、郷士などに分かれ、川路家は身分の低い準士分であった。重野安繹に漢学を、坂口源七兵衛に真影流剣術を学ぶ。
幕末期の戦功
元治元年(1864年)、禁門の変で長州藩遊撃総督の来島又兵衛を狙撃して倒すという戦功を挙げ、西郷隆盛や大久保利通から高く評価された。慶応3年(1867年)、藩の御兵具一番小隊長に任命され、西洋兵学を学んだ。
慶応4年(1868年)、戊辰戦争の鳥羽・伏見の戦いに薩摩官軍大隊長として出征し、上野戦争では彰義隊潰走の糸口をつくる。東北に転戦し、磐城浅川の戦いで敵弾により負傷したが、傷が癒えると会津戦争に参加。戦功により明治2年(1869年)、藩の兵器奉行に昇進した。
警察制度の確立
維新後の明治4年(1871年)、西郷の招きで東京府大属となり、同年に権典事、典事に累進。翌年、邏卒総長に就任し、司法省の西欧視察団(8人)の一員として欧州各国の警察を視察する。帰国後、警察制度の改革を建議し、ジョゼフ・フーシェに範をとったフランスの警察制度を参考に日本の警察制度を確立した。
明治7年(1874年)、警視庁創設に伴い満40歳で初代大警視(後の警視総監)に就任 (この年齢は現在でも史上最年少)。執務終了後ほぼ毎日、自ら東京中の警察署、派出所を巡視して回り、一日の睡眠は4時間に満たなかったという。
西南戦争
明治六年政変で西郷隆盛が下野すると、薩摩出身者の多くが従ったが、川路は「私情においてはまことに忍びないが、国家行政の活動は一日として休むことは許されない。大義の前には私情を捨ててあくまで警察に献身する」と表明した。
内務卿となった大久保利通から厚い信任を受け、不平士族が喰違の変、佐賀の乱などを起こすと密偵を用いて動向を探った。薩摩出身の中原尚雄ら24名の警察官を「帰郷」の名目で鹿児島県に送り込み、不平士族の離間工作を図ったが、中原らは西郷の私学校生徒に捕らえられた。苛烈な拷問が行われた結果、川路が西郷を暗殺するよう指示したという「自白書」がとられ、川路は不平士族の間では大久保と共に憎悪の対象とされた。
西南戦争勃発後、川路は陸軍少将を兼任し、警視隊で組織された別働第三旅団の長として九州を転戦する。激戦となった3月の田原坂の戦いでは、警視隊から選抜された抜刀隊が活躍して西郷軍を退ける。5月には大口攻略戦に参加した後、6月には宮之城で激戦の末、西郷軍を退けて進軍するが、その後旅団長を免じられ東京へ戻る。旅団長は大山巌(後の第2代大警視)が引き継いだ。
終戦後の明治11年(1878年)3月、黒田清隆の妻が急死した際、かねてより酒乱で知られていた黒田が酒に酔って妻を斬り殺したとの噂が流れたため、川路が墓を開け、病死であることを確認したと発表した。これについては、川路も薩摩出身であることから黒田をかばってもみ消したという見方が当時からあり、同年5月に発生する、川路の庇護者であった大久保利通の暗殺(紀尾井坂の変)の遠因になったともいわれる。
死去
明治12年(1879年)1月、再び欧州の警察を視察。しかし船中で病を得、パリに到着当日はパレ・ロワイヤルを随員と共に遊歩したが、宿舎に戻ったあとは病床に臥してしまう。咳や痰、時に吐血の症状も見られ、鮫島尚信駐仏公使の斡旋で現地の医師の治療を受け、転地療養も行ったが病状は良くならなかった。同年8月24日、郵船「ヤンセー号」に搭乗し、10月8日帰国。しかし東京に帰着すると病状は悪化、10月13日に死去した。享年46。関西の政商である藤田組が汚職の捜査を恐れ毒殺したという噂も立った。墓所は青山霊園。
川路が警視庁に在職した期間は決して長いものではなかったが、警察制度創始者としての評価は高い。警察の在り方を示した川路の語録は『警察手眼』(けいさつしゅげん)として編纂され、警察官のバイブルとして現在も広く読み継がれている。
明治18年(1885年)、弥生神社(現 弥生慰霊堂)に特別功労者として祀られた。また現在、警視庁警察学校には彫塑家・北村西望の作となる立像が、警視庁下谷警察署敷地内には川路邸宅跡の石碑が建っている。警察博物館には川路大警視コーナーが設けられ、川路の着用した制服、サーベルが展示されている。
鹿児島県では「西郷隆盛を暗殺しようとした男」「郷土に刃を向けた男」として長らく裏切り者の印象を持たれて評価が低めであったが、鹿児島市皆与志町の生家近くのバス停は川路にちなみ「大警視」と名付けられており、生誕の地には記念碑が、川路が率いた別働第三旅団の激戦地である霧島市(旧横川町)内には銅像が建っている。平成11年(1999年)に当時の鹿児島県警察本部長・小野次郎らの提唱で鹿児島県警察本部前に銅像が設置されるなど、現在の地元でも人気があまりないながらも、ようやくその功績や人物像が再評価の段階に入りつつある。
エピソード
戊辰戦争磐城浅川の戦いで、敵の銃弾が股間に当たり負傷した。銃弾は金玉袋を貫いたが、金玉は無事であった。戦場にあっても金玉袋が縮まず垂れ下がっていた(怖がっていなかった)からで、川路の豪胆さを示す逸話となり、薩摩藩兵は「川路のキンタマ」と讃えた。
明治5年(1872年)の初めての渡欧の際、マルセイユからパリへ向かう列車内で便意を催したもののトイレに窮し、やむを得ず座席で日本から持参していた新聞紙の上に排便、その大便を新聞紙に包んで走行中の列車の窓から投げ捨てたところ、運悪くそれが保線夫に当たってしまった。その保線夫が新聞に包まれた大便を地元警察に持ち込んだことから、「日本人が大便を投げ捨てた」と地元紙に報じられてしまった。この“大便放擲事件”は、司馬遼太郎が小説『翔ぶが如く』の冒頭部分で描いたことなどで、今日では川路の最もよく知られたエピソードの一つとなっている。他にも山田風太郎の小説『警視庁草紙』『巴里に雪のふるごとく』(『明治波濤歌』所収)にもこの件は描かれている。
蒲鉾が大好物であった。あまりによく買うので料理屋だと思われていたという。
親族
後に福岡県知事、岐阜県知事等を歴任した川路利恭は、川路の死後、養子となった夫人の甥である。
俳優フランキー堺は大警視の嗣子となる利恭の弟の孫である。
川路利良が登場する作品
小説
司馬遼太郎『翔ぶが如く』
山田風太郎『警視庁草紙』

2016年2月5日金曜日

名誉棄損

名誉棄損

本日、仲間を連れて厚木警察署に、告発状の説明に行きました。
やはり、左の如く 私の告発状を受け取る気はありません。
 そのなかで、相手は「私のブログ掲載を名誉棄損である」と言ってきました。
なんだか、私も刑務所に入れられそうです。
何方か、一般の方で知恵を貸してくれる方がいらっしゃいましたら、
私のメールに教えてください。

真相究明委員会:調査役代表 小島 佐則
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監察官殿

なかなか、厚木警察署が動こうとしている気配がみえません。
そのために先日の、告発状に至ったわけです。
念のため、神奈川県警本部の中の監察官室にホットラインを使って、メールを送りました。

監察官殿
神奈川県愛甲郡愛川町にある県央愛川農業組合において、昨年(平成27年)2月中旬に、不正融資事件の発表がありました。 この事件は奇妙な事件です。
真相究明委員会の代表として、私が同農協に色々質問しても答えようとせず、秘密結社化しております。この事件は企業ぐるみと思われます。
 何とか、昨年の10月に私の告発状を厚木警察署が受理しました。
 この件を知り,JA愛川の役員は、今まで全く動かなかったのに、急に追いかけるように、告訴センターに告訴状を12月に受理してもらいました。
 本年(平成28年)1月の告訴センターの話では、「この事件は一括、厚木警察署に任せました。」と言っています。
しかし、厚木警察署は一向に動く気配すらありません。
厚木警察署と同農協の関係がおかしいと思われます。
 昨年の新聞発表によると、この事件は根が深く、氷山の一角とされ、更には、国会議員の先生の政治献金にもつながるのではないかと、噂されております。
更に、この事件は、農協中央会も関係があると思われます。
この事件は色々な物を包含していますが、この会の目的は、一日も早く、同農協を開かれた、明るい農協にすることです。
現在、厚木警察署に、同農協の、前役員と、現在の役員の告発状を提出していますが、受け付けてくれません。
どうすれば、受け付けてもらえて、捜査を開始してもらえるのか、お知恵をお貸しください。詳細は私のブログを見て下さい。 宜しくお願いします。

                     敬具
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2016年2月4日木曜日

ケンソル

ケンソル
ケンソル(Cēnsor)は、古代ローマの高位の政務官職のひとつ。日本語では「センソール」と表記されることもある。その任務は「ケンスス」と呼ぶ調査(Census、センサス、国勢調査)の実施とローマの風俗の引き締めであった。日本語では監察官と訳される。
他の政務官職が毎年選出されるのに対し、ケンソルは5年に1度、1年半の任期で選出される。定員は2名。
ケンソルはケンススを実施しローマ市民権保持者の数を確定し、同時に元老院議員、エクィテス(騎士)の名簿を改訂する。この際不品行等を理由として既存の元老院議員やエクィテスからその地位を奪うこともできる。このような権限からローマの政務官の中でも高い地位を与えられており、最高位であるコンスル(執政官)より下位の政務官職ながらもケンソルには通常コンスル経験者が就任した。
帝政期に入るとケンススの実施や風俗の監視といった任務は元首の仕事となった。
幕末期、外国との会談・交渉の際に、目付を同席させたが、その際に目付の職務を説明した所、「目付とはスパイのことだ。日本(徳川幕府)はスパイを同席させているのか。」という嫌疑を受けた。嫌疑を晴らすため、幕府は諸外国の職務で目付に相当するものを探し、ローマ時代の官職である、このケンソルを見つけた。万延元年遣米使節で小栗忠順が目付として赴いた際には「目付とはCensorである」と主張して切り抜けたという。
古代ローマの人口統計
以下文献に残る古代ローマのケンススによる市民人口を表にまとめる。これらはローマ市民権を有する17歳以上の成人男性の人口とされており、出生率を超える人口増加は、ローマ市からイタリア、そしてイタリア外へのローマ市民権の拡大に対応すると解されている。
                                                                                          以上